diversity of possibilities

書きたいことを、書きたいように書いていきます。仕事のアウトプットもあれば、個人的な趣味・嗜好に関するものも。

10年勤めた会社の退職を前にして

さてさて、退社の日が近づいてきた。

 

4月いっぱいで現職場を退職し、その後はフリーランスという名の個人事業主へと変わります。

不安はたくさん、希望もたくさん。

いろいろと思うことがあり、書き出したら止まらなくなったのでそこそこ長文です。

決意のようなものを書こうと思ったのに、出てくる言葉はこの10年間への感謝でした。よかったら一読してやって下さい。

 

 

今までは周りの人に恵まれてきて何とか会社員としてもそこそこ信頼をされてきたけれど、独立した後もその関係を維持できるのか。

そういう不安がある。

もちろん、食っていけるだけ稼げるようになるのか、という不安もあるけれど。

とりあえずは実家に居候しながら、3年と言いつつ2年でメドを立てたいと思ってる。

 

近い人には話をしたし、社内も引き継ぎ自体は終わった。

何より嬉しいのは、円満退社ができる、ということ。

うちの会社は非常にその辺がキビシクて、退職の意志を示したとたんに「明日からもうこなくていい!!」と言われる人を何人も見てきた。

辞めた後も「裏切り者」のような印象を持っていることも目にし、耳に覚えてきた。

 

僕も、もしかしたら、というか心のなかではきっとそう思わせてる部分はあると思う。

だけど、円満に、独立後も協力会社として連携しよう、と言ってくれた。

それがとてもありがたく、喜びである。

 

社内にいると、うちの部署がどこに向かってるのか、向かいたいのか上司がわかってるのか?と疑問はあったけど、離れて独立することで自分が目指す方向はクリアになる。

自分を過大評価も過小評価もしないけど、僕は今後3~5年の間は替えが効かないポジションを築いていたとは思う。

 

でも、そのポジションを築くのに人の3倍は要したなぁというのが振り返ってみた今感じることです。

 

僕の前任者で上司でもあった人は、おそらく2~3年で今の僕と同じようなポジションを築いていたはず。僕は6年はかかってる。

「ポジション」とは、社内的な肩書きではなくて、お客さんにとって「お前じゃないとダメ」と思ってもらえる存在感ね。

僕は前任者が去った後、主担当となって何とかこれまで9年間ほどやってきた。

 

前任者で上司だった彼が去った後は実はけっこう苦労した(と今となってはそう思う)。

何しろ、僕は1年目途中で、前年からバイトで関わっていたとは言え、仕事の進め方やお客さんとの距離感、付き合い方から企画書の書き方、報告書の取りまとめ方まで、一切を習熟する前にいなくなられてしまい、後は自分で何とかするしかなくなったのだから。

もちろん、同じ部署には先輩等もいたけれど、仕事の内容、進め方は前任者のやり方が大好きだったのと、そのやり方が他の同僚等には十分受け入れられていないようなところもあり、「やり方」を聞くことについてはできなかった。人として同僚としてはいろんな意見、アイディア、指摘をもらったけれど。

 

だから、僕の仕事のモデルは既に社内にはいない前任者の行動、思考方法を空想の中で構成した、まさに「空想の産物」だ。

あ、そうそう。忘れてはならないのは、お客さんから学ぶことが非常に多かった。この9年、お客さんに育ててもらったといっても過言ではない。

①お客さんから要望が出る→②前任者ならどう考え、どうリアクションをするだろう?→③自分の空想の前任者ならこうするはず→④自分もそうしよう

本当に、6年くらい経つまではこのサイクルで基本的に仕事を進めてきた。

 

でも、いつの頃からだろう。

この②と③のプロセスを特に意識することがなくなり、①→④に直結し始めた。

たぶん、7年経ったくらいからだろう。

僕はお客さんから、「3年で仕事をひと通りできるようになれ。5年で自分一人で回せるようになれ」と言われていてそれを一つのマイルストーンのように考えてやってきた。

目標から2年も遅れたけど、何とかその域に達し、お客さんから信頼してもらえるようにもなった。右腕だと言われるくらいにはなれた。

 

今回、独立するということはそのお客さんにも迷惑を多少なりともかけることが想定されるけど、僕の考えを聞いて「まぁ、そうだよな」と理解をしてくれたことも嬉しかった。

5年ほど前にも独立したいんだという相談をしたら、その時は「まだ早い」とビシッと止めてくれたのもそのお客さん。

今独立を支持してくれてることを踏まえると、真剣に僕のことを考えて、当時は諌めてくれたんだとわかる。

こういう前任者、お客さん、同僚に囲まれてやってきた10年間は大きな財産だ。

そして、独立するという話を地域の人に伝えたら、やはり「いま関係を切られたら困るから、つながりを持っててほしい」ということを言われた。

あぁ、直接接する機会はめちゃくちゃ多いわけじゃないのに、きちんと見てくれてた。信頼してくれてたんだ」

と改めて実感した。ついつい自分を過小評価しちゃうクセも実はあって、本当は僕がいなくてもできると思われてるんじゃないのかな、なんてネガティブなことを想像したりもしたけど、嬉しかった。

 

また別のお客さんは、ここ数年は同僚と組まれていたので、仕事で接する機会は激減してたのに、「どっちが良いとか悪いとかはないけど、考え方は君の方が近い」と褒め言葉?をいただいて、

「あぁそうか。離れていても、見てくれてる人がここにもいたのか」

と、やはり嬉しかった。

 

時に、天狗になりかけたこともあるけれど、その都度お客さんがポッキリ折ってくれてたし、社内でもきちんと叱ってくれる人がいた。

仕事の具体的なアドバイスについてはあまり社内からはもらえなかったけど、社会人としてのマナー、ルール、考え方、対応の仕方、人との接し方など基礎を教えてもらえた。

社内にはそのウルサイ人を煙たく思う人もいるけれど、ああいう人がいるから会社は回るんだろうと思うし、いなくなったら「マジヤバイ」と思ってる。

特に1年目の出来事は忘れられない。

とある仕事を外注して、外注先から請求書が来てたんだけど、前任者がまだいた頃だから処理をどうすればいいか聞いたら「とりあえず持ってて」と言われたので持ってた。持ってる内に前任者が辞めていなくなり、僕もその請求書の存在を忘れていた。

それに、正直そういう社内的な事務処理の方法は前任者もめちゃめちゃ弱かったので、ほとんど何も教えられていなかった。

それでふと思い出して、総務に持っていったところ、こっぴどく叱られた。請求書を1ヶ月も2ヶ月も放っとく奴があるか!!と。

そりゃ、そうだ。今なら僕も「お前アホか」と後輩がいれば教えてやるくらい、常識。

 

でもその当時の僕はそんな「イロハ」すら知らなかったし、学ぼうともしていなかった。

そんな僕に呆れつつも、イロハを教えてくれた総務部長。その後もことあるたびに叱られ続けたんだけど、なぜか気に入られていたらしい。

でも、何となくその理由はわかる。

他の人がどうかは知らないが、僕は叱られたらその理由が自分にあることを認めるし、何とか直そうとする。言い訳もほとんどしない。それが良かったのかもしれない。

 

僕より先に会社を辞めていった人と話す機会が何度かあったけれど、その何人かは「辞めてから気づいたけど、いい会社だったよ」と言っていた。

きっとそうだと思ってる。だから、会社が「嫌になって」とか「どうでもよくなって」といったような逃げの姿勢でやめることだけはしたくないと思ってた。

 

今回、自分の状況ややりたいことを説明し、苦々しいと思ってるとは思うけど、苦渋の選択だとは思うけど、それでも円満に退社できることにとても感謝しています。

ありがとうございます。