diversity of possibilities

書きたいことを、書きたいように書いていきます。仕事のアウトプットもあれば、個人的な趣味・嗜好に関するものも。

島根まち歩きプログラム情報4

さてさて、島根県内で展開されているまち歩きプログラムの紹介第4弾。

今回はグッと西へ移動して、浜田市は弥栄町の「ええとこ歩き」と題されたまち歩き。

 

ええとこ歩き

 

今年10月から毎月、弥栄町の中のどこかでまち歩きが行われる、という長期的なプログラム。基本的には、地域の中山間地域の生活の一端や文化などを体験しながら一緒に楽しむというもの。

昼食も弥栄産の食材をたっぷり使ったものだそうで。

 

ちなみに、今月は11月24日が開催日で「畑」(はた)という集落をお邪魔するらしい。ここは9世帯18人が生活する小規模集落なんだけど、明治・大正時代にはなんと学校が2つもあったほど人が多かった時代があったようです。

そういった痕跡を辿りながら、今の畑を見て、美味しい物を食べてみてはいかが?

地域の経営を担う組織をつくる

仕事の関係で協議。

これまで地域にあった組織が年度末で解消される、という事態がいよいよ差し迫って地域の人にとっても大きな問題として意識され始めた。

これからどう動いていくのかは、正直まったく読めない。だけど、組織が担ってきた役割、機能のすべてとは言わないまでも重要な部分を継承する後継組織について、メドを付ける、というのは僕の役割でもあり、これからどんどんタフな仕事になることが容易に推測される。

 

でも今日わかったプラスの材料は、地域の中でも遅いとは言え危機感が広がりつつあること。そこに対して、どういう提案を出していくかは要検討ではあるけど、何かしら反応は得られるんだろう。

反応があれば、そこから議論する余地、改善する余地がまた生まれる。

 

そうしてそうして、よりよい事業計画として構築、地域の人達の新しい組織として出発できるようになればと思う。

中庸が大事である

ちょっと前に、ふと考えていたこと。

「中庸」の大事さについて。もう一つは、「すべては表裏一体」ということ。

まあ、中庸の正確な意味はそれぞれで調べてもらうとして、ここで言いたいのは”バランスの取れた状態”といったイメージで話してる。

思想的にも、学力的にも、経済的にも、地域格差にも極端と言える状態、気持ち、志向を持った人が多いような気がしてならない。
「極端などちら」もある程度知り、言いたいことを理解した上で、バランスを取ろうとすることの重要性は増していくんじゃないか。
もちろん、両極端を突き詰めていけば、それはそれですごいしそういう人はカリスマ性を発揮すると思う。歴史的にもそういう人がリーダーシップを取るケースは多々あると思う。が、他方で中庸を突き詰めても、実は多分目立たないし、ともすれば「平凡」に埋もれるのではないか。

「平凡」を嫌い、両極端を志向するというパターンはあり得るんじゃなかろうかと思うが、うーんどうだろう。単にブレークスルーデキる人、ドロップアウトデキる人なのか。わかりません。

ただ、個人的にはやはり「中庸」を目指したい。


そして、表裏一体。右でも左でも、都市でも田舎でも、勝ち組でも負け組でも、高学歴でも中卒・ニートでも、見方を変えれば実は立場が大きく変えられるんじゃないか。なんて言うか、二項対立という論点整理が違うんじゃないかと思うわけ(ここでも中庸的)。
ある人物Aが居て、傍目には幸せそうに見えたとして、本人が本当にそうか?と言えば必ずしもそうではない、ということは誰しも経験があると思う。これは極端な例だけど。

人当たりがいいと言われる人は、本当に人当たりがいいのか、それとも八方美人なのか。冷たい人言われる人は、本当は相手を真剣に思って厳しいことを言うのか。よく言われる話だけど、長所短所は表裏一体。


ここで言いたいのは、短所も捉えようで長所になる、なんていういいコトではなくて、どれだけやっても決して相手に届かないこともある、ということを知っておくことが大事なんじゃないか、ということ。”裏”なんてないのに、相手先からはどうも”裏”があるんじゃないか?と勘ぐられることもあるでしょう。そんな時、相手を責めるでもなく、まして自分の伝え方が悪いと自らを責めるでもなく、「そういうこともあろうて」と思えることが大事だと思います。
それに、この人こんな良い人なのに、なんでみんなから反感買うんだろう?みたいなことも同じことかと。

僕自身がこんな考え方だからと言って、物わかりが良い、諦めが良い(早い)、ということはなくって、必要と思えばかなりシツコク、長期にわたって食い下がるので、消極的・受動的な人間の出来上がり、ということはない(笑)

もう一点、いつもいつもこのようなことを考えて人と話しているわけでは決してありません。

3大学設置の不認可→認可の騒動

田中文科相が3つの新設大学の認可を覆したという例のニュース。

 

もうこの人、大臣どころか議員辞めたほうがいいよ。自分が目立つためのパフォーマンスばかりだから。

言ってるコト自体はある程度理があるから余計にたちが悪い。

たしかに大学がポコポコ出来てて、「大学」という名を冠する意義は薄れているような気はする。だけど、何年もかけて協議をしながら、求められる要件をクリアして「認可」を受けたものを、たかだか新任大臣が覆すなんてのは職権濫用でしょうよ。

 

そもそも「許可」と「認可」の違いをわかってないんじゃないかと思う。「認可」というものは、基本的に求められる要件をクリアすれば認められるというものなので、審議会?が「クリア」と言えば認可なわけでしょう。

そういうものをあっさりと「認めない」とか言えちゃう神経はおかしい。議員としての資質が問われると思う。

※僕の理解が違ったら指摘して下さい。

 

もっとも重要なことは、この騒動が起きてからとりあえず今日収束するまで、大臣から3大学を志望した受験生への配慮の言葉は少なくとも報道を通じてみる限り確認されなかったこと。果ては「イイ宣伝になっただろう」なんてことを言ったとか。

自分の子や孫がそこを志望してても、同じ判断したのか?といいたい。第一志望校がどうやら設立されないらしい、なんてことになったら受験生がどれだけ混乱するか、進路指導の教員、学校そのものもどれだけ混乱するか、一切想像が及ばないんじゃないか。

 

新しい基準が必要だというのはわかるし、このタイミングで自分の能力を見せつけるパフォーマンスがしたかった、というのもまあわかる。くだらないけど。

だけど、その対象となったこの3大学と志望受験生にとってはいい迷惑どころじゃない。オープンキャンパスや推薦入試が中止になったんでしょ?そこに向けて準備してきた子はどうすればいいわけ?あり得ないでしょう。

 

新しい基準が必要だというのなら、

数年かけて協議を重ねて春には新設される3大学については設置を現行基準のもと認める。しかし、今後の大学新設については、新基準を早急に検討し、その基準に基づき判断していきたい。その中では厳しく見ていき、日本全体の高等教育機関のレベルアップに貢献する体制を構築したい。

みたいなことで進めるべきだったと思う。

島根まち歩きプログラム情報3

島根で開催されるまち歩きプログラムの紹介第3弾。

これまで2回は大田市でのプログラムだったけど、今回は松江市のまち歩き。

 

松江おちらとあるきフェスタ

こちらは11月10日(土)一日で開催されるプログラム。

全部で10のプログラムを一日で走らせよう、というぜいたくなまち歩きプログラム。

 

1,松江城へ攻め込もう 
  ~親子で楽しめる松江城秘密歴史散策~ 
2,松江城下町の町人文化が息づく 
  ~北堀・石橋・奥谷界隈~
3,だんごでハシゴ 
  ~松江だんご屋さん食べ歩き~
4,シャカシャカする暮らし 
  ~和菓子とお茶の松江文化めぐり~(桂三段さんの楽し
  いガイド付)
5,恋するまち松江 
  ~情緒たっぷりのクルージング婚かつ!~
6,旅情の港町で美術館に出会う 
  ~まちの中に溶け込む美術品の数々と出会えるコース~
7,松江城下めぐり 
  ~レトロ風のバス『レイクライン』に乗って松江散策~
8,「大建築」巡礼・松江 
  ~大建築の聖地「松江」を巡る!~
9,ようこそ松江 ~買い食い編~
10,若槻総理を生んだ足軽の町散策 
  ~松江の教育の原点に触れる~

 

松江には松江城や武家屋敷など歴史と文化薫る町として、国際文化観光都市としてのプライドもあるでしょう。

きっと楽しい一日となることでしょう。