diversity of possibilities

書きたいことを、書きたいように書いていきます。仕事のアウトプットもあれば、個人的な趣味・嗜好に関するものも。

ムダも、非効率も、アソビも趣味も、ぜんぶ大事!

「効率」とか「合理化」とか「合理的」とかいう言葉がある。

これは好きじゃない。もちろん、個人事業主として独立した以上、本当にムダというか意味のない時間の使い方やお金の使い方は避けたいとは思ってるけど、それで「無駄遣い」って楽しい。

 

そういうムダをすべて「効率」や「合理的」という基準で判断していくと味も素っ気もないつまらない時間になってしまうと思う。そうじゃない人もいるとは思うけど、僕はそういうのはつまらないと感じてしまう。

そういう、他人にとっては意味のない、だけど当人にとってはとても楽しい、刺激のあることは大事にすべきだ。そして、そういうものに対して他人が安易に「もったいない」とか「むだ」とか言うべきじゃないよね。

 

効率とかって、インプットに対していかに労力をかけずにアウトプットを大きくするかという、きわめて経済的な資本主義的な価値観に沿っている気がするのも好きじゃない理由かもしれない。

実際問題としてお金は必要だ。お金がなくてもいいんだ、なんてきれいごと言ってるやつは信用出来ない、とまではいかないけどわかってないなと思う。僕も独立するまではけっこうわかってなかった。

独立して、お金の重要性、会社員であることの社会的な信用創造などがある、ということを思い知った。

 

知った上であえて言いたい。どんな人でもどんな場合でも無駄遣い、趣味に浪費することは悪いことじゃない。それが自分のなかで気持ちのリセットに役立ったり、何かの効果があるのだとしたら、それが外から見てわからないとしても、重要な意味があると言えばいい。

 

最近何やら地方での暮らし礼賛、都市とくに東京一極集中や東京住みを否定的に表明する人を多く見るけど、これは賛同できない。両方一長一短あるし、僕は地方の振興を仕事としているしフィールドとして地方、農山漁村の雰囲気や暮らしが好きだけど、その一方で東京も都会も大好きだ。そこで生み出される文化やオンガク、映画に楽しませてもらい、お金も使う。このへんのロジックとちょっと似てる気がする。

 

地方の暮らしは人付き合いが濃い。これは確かなことで、たぶん都会から来た人だとなかなか馴染めないこともあると思う。自分もなれないことがある。じゃあ、それを都市から来た人が「人付き合いなんてムダ」なんてぶった切っても、「そうだよね」と納得するのか?

一見するとムダで何のメリットがないように見えても、長い目で見ればそれが地域に馴染むことであり、その意思がある、という態度表明でもある。すると地域での暮らしが円滑化する、というメリットがある。(裏を返せばそうしなければならない状況なのか!?という向きもあるかもしれないが)

 

まあとにかく、短期的表面的な「ムダ」を引っ張りだして叩いて気分良くなるのはやめよう。そんなことしても楽しくない。